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学長紹介

初代学長 中嶋嶺雄

中嶋初代学長の写真

中嶋 嶺雄 Mineo NAKAJIMA, Ph.D.
公立大学法人 国際教養大学 初代理事長・学長

プロフィール

1936年
長野県松本市生まれ
1960年
東京外国語大学<中国学科> 文学士
1965年
東京大学 国際学修士
1977年
東京外国語大学教授
1980年
東京大学 社会学博士
1995~2001年
東京外国語大学長
1998~2001年
国立大学協会副会長
1998~2006年
アジア太平洋大学交流機構(UMAP)初代国際事務総長
2000~2006年
財団法人大学セミナーハウス理事長
2001~2007年
文部科学省中央教育審議会委員(大学院部会長・外国語専門部会主査)
2004~2013年
公立大学法人国際教養大学理事長・学長
2006~2008年
内閣教育再生会議有識者委員
2008~2013年
公益社団法人才能教育研究会会長
オーストラリア国立大学、パリ政治学院、カリフォルニア大学サンディエゴ校の客員教授を歴任。
2013年

著書等

  • 『現代中国論』(青木書店、1964年)
  • 『北京烈烈』(筑摩書房、1981年)
  • 『国際関係論』(中公新書、1992年)
  • 『21世紀の大学』(論創社、2004年)
  • 『「全球(グローバル)」教育論』(西村書店、2010年)
  • 『なぜ、国際教養大学で人材は育つのか』(祥伝社、2010年)
  • 『世界に通用する子供の育て方』(フォレスト出版、2011年)
  • 『日本人の教養』(朝日新聞出版、2011年)
  • 『学歴革命』(KKベストセラーズ、2012年) 等多数

功績

  • 『北京烈烈』(筑摩書房、1981年)で「サントリー学芸賞」受賞
  • 中国・台湾などについての評論活動で第19回「正論大賞」受賞
  • 瑞宝重光章
  • 従三位
  • 秋田県文化功労者
  • 「いつでも勉強できる場を提供したい。」という中嶋の強い思いから「24時間365日の開館」が実現した本学図書館は、2014年、中嶋の本学創設・発展への功績を称えて「中嶋記念図書館」と改称

作品等

バイオリン演奏や登山のほか、水彩画も趣味としていました。

リヴォフのオペラ座

2年前の秋、モスクワでの第6回日ソ円卓会議のあと、私はリヴォフへの一泊小旅行に行った。そこはソ連邦ウクライナ共和国の西端、ポーランド国境に近い人口70万の中都市で、ソ連というよりはヨーロッパ中世都市のような香りがどことなく漂っている。

この都市の中心に位置するネオ・ルネッサンス様式のオペラ座は、1900年建立とのことで、ウィーンのオペラ座をそのまま小さくしただけといってよい見事なものであり、その夜はバレエ「白鳥の湖」を全幕観賞した。

翌日、市内を自由に散策する短い時間があったので、私は同行の人たちが買い物をしている合い間に、急いでこのスケッチをものすことができた。私にとっても想い出深い一枚となった。

『東亜』(霞山会) 1990年12月

オンフルールの波止場にて

ここ十数年来は、フランスを訪れる機会が多い。文部省科学研究費(国際学術研究)などの支援でフランスの現代中国学界と共同研究を進めているからでもあるが、そんな折に、私の永年の友人クロード・カダール氏夫妻、中国・アジア学の碩学レオン・ヴァンデルメールシュ教授夫妻、そして私達夫婦の六名で春先のノルマンディーをドライブしたことがある。

もう十年ほど前のことだが、早朝にパリを発ち、リンゴの白い花や黄水仙の咲き乱れるノルマンディーの春色を満喫しながら、若き日に覚えたシャンソン「マ・ノルマンディー(Ma Normandie)」のフランス語の歌詞がおのずと蘇ってくることを喜びつつ、セーヌ河がイギリス海峡に注ぐ河口に近い漁港オンフルール(Honfleur)に着いたのは、もう正午をかなり過ぎた頃だった。

オンフルールは、いかにも港町風情が漂う街並みで、船底を屋根にした木造の聖カトリーヌ教会、古い時計塔、石畳の小路、洒落た土産物屋などが雑然としながら、中世と現代、田舎と都会が混ざったような独特の調和をつくっている大変魅力的な場所だ。その圧巻は、港に停泊している無数の漁業用小帆船やヨットなどが、傾きかけたり曲がったりしている古くて高い建物を背に生み出している波止場風景であろう。

ところで、オンフルールはコローやデュフィらの印象派の画家たちがその風景を好んで絵筆を取り、また彼らがたむろした町でもある。モネが生涯の師と仰いだユジェーヌ・ブーダンを記念するブーダン美術館も町の中心部にあり、最近、東京でも展覧会が開かれたブーダンの自然描写はまた格別であるけれど、オンフルールは、モネの豪勢ではなく、オンフルールに生まれて前世紀末のパリはモンマルトルの居酒屋でピアノを弾き続けていた作曲家エリック・サティのムードにこそふさわしい雰囲気をたたえている。モデルとしてモンマルトルの画家たちの大層もてたというサティの母親の一時期の夫がユトリロであることも、なんとなくオンフルールの雰囲気にふさわしいエピソードだといえよう。

私の最初の訪問時には絵筆を握る暇もなかったので、いつか再訪してみたいと思っていたのだが、数年前の春休みにやはり日仏共同研究の用務でパリを訪れたとき、今度はオンフルールに近いリジュー(Lisieux)の町に一泊する余裕もあり、懸案のオンフルールの波止場風景を水彩で描くことができた。対象がとてもカラフルなので、緑や藍の絵具を原色に近い色で使うこととなったが、自分ではかなり気に入っている作品で、今もわが家の書斎に飾ってある。

『オンフルールの波止場にて』(三修社)2001年10月