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企画インタビュー:秋田の音楽家とAIU生に聞く『秋田・潟上国際音楽祭2023』

第二回を迎える『秋田・潟上国際音楽祭2023』は、北東北初の国際音楽祭です。秋田県出身で欧州を拠点に活動しているピアニスト千田 桂大さんが実行委員長を務め、運営スタッフとして本学学生が参加しています。

秋田県出身の若手兄弟音楽家、千田 桂大さん・浩太さんと本学の学生たちが企画・運営する『秋田・潟上国際音楽祭』は、秋田から世界への文化発信の拠点を目指し2022年に第一回の音楽祭を開催しました。第二回を迎える今年は、秋田県内の複数の会場で、スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとした世界有数の演奏者による公演やイベントが予定されています。

今回のインタビューでは、音楽祭の開催を手掛けた千田 桂大さん・浩太さんと、運営スタッフとして参加している本学学生の山本 啓介さん、仲田 大樹さん(2020年入学)に、国際音楽祭の開催背景や開催へ込めた思い、さらには音楽家としての活躍を通して実感したリベラルアーツ教育の重要性などについてお話を伺いました。

聞き手:AIU広報チーム

秋田に迫る「存続の危機」

AIU広報チーム(以下、AIU):秋田・潟上国際音楽祭は今年で2年目となります。千田 桂大さんと浩太さんは秋田県潟上市出身のご兄弟で、桂大さんは欧州を拠点にピアニストとして精力的に活動されており、浩太さんは老舗佃煮屋の株式会社千田佐市商店と、社内に設置した文化事業部「アートオフィスサイチ」を経営するかたわら、秋田潟上国際音楽祭の運営やTeam Katagami Cultureなど様々なエンターテインメントの企画・提供を手掛けてこられました。
プロフィールだけでは伝えきれないところもありますが、まずは秋田で国際音楽祭を手掛けた背景を教えていただきたいです。

千田 桂大:私は潟上市出身で、フランスを拠点にピアニストとして活動しています。今から3年前、東京でのリサイタルのためフランスから一時帰国した際、秋田へしばらく帰省していました。ちょっとだけのつもりで帰ってきていたのですが、ちょうどその時期に新型コロナウイルスの影響でロックダウンが始まり、フランスに帰れなくなったんです。
やむなく秋田での長期滞在が始まり、最初の1、2カ月は「水清く、人豊かな」というように「ふるさと秋田っていいところだな」と感じていました。しかし3カ月が過ぎた頃から、なんだか秋田に活気がないなと感じたり、さらには秋田での人間関係から少し違和感を感じはじめたりしました。ちょうどその頃「2040年には人口減で秋田県が消滅するかもしれない」というニュースが流れていたのが目に留まったんです。そういった状況が重なり、居ても立っても居られなくなって「何とかしないといけないな」と思い立ちました。

ピアニスト千田 桂大さんの写真
ピアニスト千田 桂大さん

AIU:秋田に帰ってきて感じた「違和感」というのは、具体的にどのようなものでしたか。

千田 桂大:私は秋田を愛しているから言っているので誤解しないでほしいですが、「文化」の欠如が問題だと思います。欧州から秋田に帰ってきて色々な人間関係を経験するなかで、秋田の人は人の顔色をうかがって誰かが言ったから私も同意するとか、自分を出すことが苦手だと感じたんです。自分のことを主張しないし、主張してはいけないという社会ができ上がっているようにすら感じて、そういうところが秋田の成長を妨げる一因ではないかと私は考えました。
では自分の意見を主張する源は何か。私はそれが「文化」だと思います。文化といっても高尚なことを言っているわけではないです。自分の意見を持って主張する土壌としての文化、主体性を生み出すものとしての文化のことです。
例えば、地域が大企業に頼って「雇用を生み出してほしい」とか、外交関係においても「他国がこう言うので日本も従う」といったものは、他人頼みです。でも、本質はそうではないというところを言いたいわけです。自分の中に文化を持つということは、自分の中に言葉を持つこと、主体性を持つことだと私は常々思っています。

AIU:それは、海外での経験から感じられたことでしょうか。

千田 桂大:そうです。コロナ禍以前は1~2年に1回程度の頻度で秋田に帰ってきていました。でもそんなに長く滞在することはなかったので、私自身が浦島太郎状態だったのかもしれません。
ただ、活動の拠点としていたフランスとの違いは明確に感じました。フランスは革命によって王政と旧体制を打ち壊した国で、今でもフランス人には自分たちの手で現在の民主主義の根幹を作ったという自負と誇りがあります。その根底にあるのが表現の自由です。2015年フランスの新聞社『シャルリー・エブド』の本社で編集長、風刺漫画家など言論人がイスラム過激派テロリストによって殺害された襲撃事件が起きた際、フランスでは市民100万人が集まって抗議集会をしました。それは、表現の自由が脅かされたこと、つまり自分の意見や考えを主張することが弾圧されることに対する抗議です。それを目の当たりにして、フランス人の根幹にあるものが見えた気がしたんです。10年間パリにいたため、自分も一人の人間として自分の声をあげ、主張することが当たり前になっていました。フランス人の考え方が必ずしも正解とは言いません。しかし私が日本に帰ってきてみたら、白でも黒でもない世界、YesでもNoでもない、かと言って自分の意見でもない、みんなやっているからという理由、いいわけをよく聞くようになり、それって一体なんだろうと疑問に思いました。

千田 浩太:私は2017年、パリのスコラカントルム音楽院を修了し、兄(桂大さん)より早く帰国していました。彼が秋田に帰ってきたので、例えば色々な企業のコンサートや懇親会など様々なところに連れ回したんです。彼自身も秋田の社長さんたちといろんな話をしたわけですが、その時に彼自身が違和感を感じ始めたと思います。

ピアニスト千田 浩太さんの写真
ピアニスト千田 浩太さん

千田 桂大:私は京都の東福寺で一年間修行しました。臨済宗の言葉で「随所に主となれば 立処(りっしょ)皆真なり」という臨済義玄の言葉があります。これは自分が主体になったときに世界は立ちどころに真実になるという意味です。まさに私はそう考えていて、自分というものが主体性を持ったその瞬間、初めて世界に参画できると考えています。一人ひとりが自立した人間として社会に参画し、その人の集まりが社会を形成し、その結果、社会自体が主体性を帯びて活気にあふれると思うのです。
一人ひとりが主体となった、多様性にあふれる持続可能な社会形成へパラダイムシフトしていかなければいけない、まさに転換の岐路に立っている。これは秋田だけではなくて世界中の色んな都市でも言えることだと思います。
そんな中で、秋田を日本の先駆け、第一号として世界と対等に話し合いができる、そういった場所にしていきたいという思いがあります。いまのままでは、「2040年にはこの美しいふるさとは消滅するかもしれない」ということを、もう少し危機感をもって考えて欲しいです。
その手段が、私はピアニストなので音楽だっただけです。たまたま自分が持っているものが音楽だったのですが、音楽じゃなくたっていいんです。これが音楽祭を立ち上げた経緯です。

ストリートピアノから音楽祭へ

AIU:山本さんと仲田さんが音楽祭の実行委員として活動を始めた経緯を伺いたいです。

仲田:音楽祭の開催前、千田 浩太さんが手掛けていた秋田県内でのストリートピアノの設置事業が出発点でした。ストリートピアノの設置活動は、身近なところで音楽にふれる機会を増やすことを目的に始まりましたが、その活動のおかげで、潟上市は人口あたりのストリートピアノの設置台数が日本一になりました。
2020年4月頃からストリートピアノの設置記念コンサートに山本くんと2人で参加したことをきっかけに、浩太さんに「山本くんと仲田くんって面白いね。何か一緒にやろう。」という話をされた記憶があります。それから国際音楽祭の構想が始まるにつれて、山本くんと私の2人も音楽祭企画に入れさせていただいたという経緯です。

潟上市の道の駅てんのうに設置されたストリートピアノの写真
潟上市の道の駅てんのうに設置されたストリートピアノ

AIU:浩太さんが「山本くんと仲田くんって面白いね」と思われたのは、どんなところに対してですか。

千田 浩太:発想力の幅ですね。ストリートピアノの活動をしたときから「浩太さん、ピアノをこんな場所に設置するアイデアはどうですか」とか、出会ってすぐのときからいろんな意見をくれて「すごいなこの人たち」という印象がありました。そんな彼らには音楽祭の構想から声を掛けていて、アイデアとアクティブさに感心しています。

AIU:実際、学生たちは音楽祭運営の実務経験がないということもあるので、手探りなところもあると思いますが。

千田 浩太:むしろAIUの学生たちはめげない、本当にめげないです。海外アーティストのビザ申請などを仲田さんに手伝ってもらっていたのですが、その過程でいろいろ紆余曲折があって、主催側の人間としても困ってしまう場面があったんですが、彼らはめげずに「何とかしましょうよ」と言うのです。
また、時々刻々と変わる状況に応じて山本くんが臨機応変に緊急会議を開いて、方向性をシフトして、時間がない中でみんなができる限りのことをしようと動いてくれます。SNSや宣伝においても、徹底してその良さを伝えるという気概と行動力はずば抜けていました。

AIU:山本さんにお聞きしたいのですが、なぜそこまで頑張ろうと思ったのでしょうか。原動力といいますか、何をもってここまでやり抜こうと思ったのですか。

山本:まず秋田がめちゃめちゃ好きになっちゃったということが大前提としてありますが、個人的には僕も音楽が好きで、サクソフォンをやっていますが、実は高校生のときに音大に進学するかAIUに進学するかすごく悩んでいた時期もありました。結局AIUに進学しましたが、そこで縁があって、浩太さんと音楽祭の企画に関わることができました。
2021年には本格的な音楽祭に先立ち、前年祭としてサクソフォン奏者の須川展也さんを迎えたリサイタルに関わらせていただきました。その経験を通して「音楽と地域はこういう関わり方ができるんだ」という発見があり、地域と文化の掛け算で何かをつくるということが自分のなかでぴったりとはまった感覚がありました。

山本 啓介さんの写真
山本 啓介さん(2020年入学)

「シェイクスピアも読んでいないやつがピアノを弾けるわけがない」

AIU:桂大さんが、師であるピアニスト、ハイドシェック(Éric Heidsieck, 1936~)の門下にいたときのことをお聞きしたいです。美術、彫刻、演劇、文学、映画、哲学など教養全般の薫陶を受けたとのことでしたが、どのような教育だったのでしょうか。

千田 桂大:2008年、パリに行ったんです。私の憧れのピアニストだったハイドシェックに教えてもらえるってことがすごく嬉しくて楽しみでした。いよいよ最初のレッスン。ピアノを弾き始めたら、いきなり止められちゃって「シェイクスピアは読んだことあるのか?」と突然質問されました。こっちとしては、せっかくパリまで来てやっとピアノが習えるのに、そんな話している時間はないと思って「それより、ピアノを教えてください」と言っちゃったんです。そうしたら私の師匠は「ピアノは弾かなくていい」と言うのです。「シェイクスピアも読んでいないやつがピアノを弾けるわけがない。お前の国では孔子も読んでいないやつが社会に出ているのか」と言われました。内心「いるけどな…」と思ったんですけどね(笑)。

何が言いたいかというと、シェイクスピアは古代ギリシャ文学の『イーリアス』とか『オデュッセイア』、いわゆる古典を理解しないと読めないんです。つまり、作品が生まれた背景が分からないまま上っ面だけでやろうとしても音楽なんてできないということです。

その日からリベラルアーツ教育が始まりました。もちろん、以前シェイクスピアを読んだことはあったけれども、もう一度読み直しました。オペラ座通りの劇場コメディ・フランセーズに足繁く通い、ラシーヌやシェイクスピアといった演劇を観て、毎日のように美術館に足を運んで、ありとあらゆるものを観て学びました。結局、ピアノを弾くまで、半年くらいかかりました。

ヨーロッパのリベラルアーツ教育の流れとして「三学四科」、つまり文法、論理学、修辞学の三学と、算術、幾何、音楽、天文学の四科という歴史的な背景は、現在の高等教育においても形を変えながら継承されていますね。そういった意味で、私の師匠の「教養が分からないのに、ピアノなんて弾けるわけがない」という考え方は、リベラルアーツ教育そのものだったと思います。

AIU:浩太さんにお聞きしたいのですが、現在社会においては分業化が激しく、深い教養より職業としてのスキルや専門性が重要視される傾向が強いと思いますがいかがですか。

千田 浩太:簡単な例として、デザインや工学分野で何かを作るにしても、発想力のない商品やサービスは売れないと思います。発想力のない人の考えた企画は世の中に浸透していかない。ただ、ものを作ったことに留まってしまうんです。

私は大学で考古学を専攻しましたが、考古学は歴史や文化のなかで想像力を発揮する必要がある学問分野です。例えば、縄文時代の土器や土偶の装飾はなぜそのような形をしているのか、どんな流通の手段があったとか、地域による違いを生み出した原因は何かなど、色々想像していくわけです。その思考のプロセスは、時代や分野の垣根を超えて共通するもので、むしろその想像力がないと何か一つの技術があったとしても最終的には勝てないというのが私の持論です。今の時代は一人ひとりの個性を重視する社会になりつつあるからこそ、様々な分野のことを理解して文化として触れることが必須じゃないかと思います。

山本:私も、AIUでの学びを通して全てが繋がっていると感じることがたくさんあります。多くの大学はある学部に所属するというシステムになっていますが、その分類は便宜的な一種のカテゴリーに過ぎず、本来、学問の領域は地続きですべて繋がっていると思うんです。例えば、いま自分の中で興味がある分野のキーワードを洗い出してみると、音楽、言語、デザイン、マーケティングなどですが、これらを「経営学部」や「芸術学部」などシステムの中ですべて学ぼうとすると、おそらくすごく難しいのかなって思います。キーワードを掛け算で繋げて、名前のない自分なりの学問を見つけそれを追求できる環境が、リベラルアーツ教育の強みだと思います。

仲田:日本社会ではどうしても「専門性がある人」がよしとされ、そうでない人はあまり評価されない風潮がありますが、むしろ欧米は真逆で、専門性はその前提となる幅広い文化への見識と理解、つまり教養があってこそのものと捉えられると思います。

例えば、浩太さんは大学で考古学を専攻し、佃煮屋を経営しながら、音楽活動もしている。最初はそれらがあまり関係なく、バラバラのものだと思っていました。でも浩太さんの話を聞いていると、それらの経験や知識が全部つながっているんです。一つの分野にとらわれずいろんな分野に顔を突っ込んで、分野間をつなげて発想を豊かにする。その根幹にあるものは、異なる領域のものを関連づける力だと思います。

仲田 大樹さんの写真
仲田 大樹さん(2020年入学)

これからの音楽祭のビジョン

AIU:これからの『秋田・潟上国際音楽祭』のビジョンについてお聞きしたいです。

千田 桂大:音楽祭で世界の一流アーティストを呼ぶことはできます。ただし、トップアーティストをただ呼んできて終わるのではなく、地域やそこに暮らす人たちに何か変化をもたらしていかないといけないと思っています。そのためには、秋田の地域文化と世界の文化の融合を試みたいです。例えば、秋田を題材としたオペラや、藤田嗣治『秋田の行事』をモチーフにした作品など、いろんな可能性があって、地域の人たちが参加する機会が増えれば地域も変わっていくきっかけになると思います。

さらに文化提携は様々な産業提携の出発点にもなるので、地域の産業や街の活性化にも繋げていきたいと思っています。世界中の地域や都市と文化提携をしていくとき、産業は切り離せない関係にあります。文化交流を進める中で産業提携も可能となり、結果的には秋田に世界の産業を受け入れることができると考えています。

ピアニストのレインハルト・ジーハファー氏と仲田さんの写真
2022年第一回秋田・潟上音楽祭にて。ピアニストのレインハルト・ジーハファー氏と仲田さん

千田 浩太:現在、音楽祭の一環として行っている活動に、県内中学・高校の吹奏楽部の指導があります。これがすごく反響がいいんです。将来的には、地域と深く関わる機会をつくっていきたいと思っていて、長期的には人間づくりという意味でも、地域の若い世代との接点を広げていきたいと思っています。

仲田:音楽祭全体としては、秋田の人に楽しんでもらうだけの音楽祭では将来的に続かなくなると思います。音楽祭のために、全国から人が来るようなものにしていく。さらに世界から音楽祭のために秋田に来るようなものにしていく。そしてそれが循環して秋田に経済効果を生むように、少しずつステップアップできるような体制づくりをしていきたいというのが私たちみんなで話しているビジョンです。そこに向けて私もできることをやっていきたいです。
山本:先日ベルリン・フィルのヴァルトビューネ・コンサート(Waldbühne Concert)に行きました。ベルリン郊外の円形劇場に2万人以上の人が集まり、夏の夜空の下でクラシック音楽を楽しむベルリンの夏の風物詩です。世界各国から集まってきた観客たちが、お酒を飲んでおしゃべりもしながらも、演奏が始まると真剣に聴き入ったりします。クラシック音楽は堅苦しくて縁遠いと思う人もいるかもしれませんが「クラシック音楽って面白いよね」とか「行ってみたいよね」とか、そういう空気感を作り出せたらなと個人的には思っています。

2022年第一回秋田・潟上音楽祭での写真
2022年第一回秋田・潟上音楽祭に参加したメンバーでの記念写真

AIU:最後になりますが、桂大さんと浩太さんから、若い世代へのメッセージをお願いします。

千田 桂大:私もそうでしたが、若いうちは東京に行けば何か欲しいものが手に入るんじゃないかと、何となく考えているかもしれません。実際に東京で社会人になる人も多いと思います。

ただ、そういった「東京」というものがいつまで通用するか分かりません。私たちより少し上の世代の人たち、1945年から2010年くらいまでを生きてきた人たちは、高度経済成長期の日本でたまたまラッキーで平和な時代を生きてこられました。世の中の流れに身を任せて、自分の意見を持たなくてもなんとかなる、そういう時代を過ごした、歴史の中でも稀にみるラッキーな世代です。でも、これからの世界はそんな時代ではない。特に学生には、社会はあなたを守ってはくれない、ましてや先生も守ってくれない。そうなったときに、自分をしっかり持って、世界で渡り合えるようにならないといけないと思います。

千田 浩太:「幸せな時代」を経験した世代の話がありましたが、その人たちは、現在地方にいっぱいいます。その人たちが「人生もういいや」と思っているかというと、実はそうでもない。これから何かに投資したいという人で溢れているのが、実は今の地方なのです。

秋田で色々な人たちと話してきて、私がしょっちゅう言われたのが「ばかけ(=ばか者)」です。「おめえばかだが(=ばかじゃないか)」と必ず言われるんですね。それを悪口ととらえないでもらいたい。「ばかけ」=「お前に興味があるから投資するよ」という意味なんですよ。ひたすらやりたいことを追い求めて、与えられるのではなく、とにかく自分からアタックしていけば東京より間違いなくチャンスがあるのが今の地方だと思っていて、特に秋田に住んでいてそれをひしひしと感じています。だからこそこの音楽祭は成り立っていて、スポンサーもほぼ秋田の人たちです。

私も桂大もまだまだ30代の若造で、しかも地方でゼロから音楽祭を立ち上げました。「こういうことができる」という良い先例として、学生たちにも「秋田でなにかできる」という励ましになれたらと思います。